目次
過去記事:沖縄旅行第一部
参考WebサイトURL
1.真栄原社交街の過去の写真
2.その他
3.おもしろ看板
0.はじめに
沖縄旅行第三話は、沖縄県宜野湾市の真栄原社交街ちょんの間街の跡地。この旅行の第一の目的は那覇辻町のソープランド。二番目はこの真栄原社交街跡地だった。
赤線・青線の建物は数年ぶりだが、復帰戦第一弾から沖縄のちょんの間とは思わなかった。肝心の真栄原社交街があまりにもうまくいかなかったため、ゆいレールてだこ浦西駅からの道のりから話そう。
1.ゆいレールてだこ浦西駅
旅行二日目、この日はてだこ浦西駅から真栄原(まえはら)に行き、海岸沿いでバスを拾って北谷(ちゃたん)にいく予定だった。
ゆいレールてだこ浦西駅に到着。この日は日曜日につき、バスが飛ばないようだ。携帯で調べた所、ここから目的地まで2.8km。
2.浦添バークレーズコートのスタバで一服
東京駅の京葉線沿いを歩いてきた身としては、歩いて歩けない距離ではない。そんなわけで浦添市を経由し、宜野湾(ぎのわん)市まで歩いて移動した。
それにしてもクソ暑い!地球の経度緯度を持ち出す前にとにかくクソ暑い!
昨日の女の子の会話を思い出すに、こんな暑い日は海に泳ぎに行くか、サーフィンをするに限る。そりゃあサーフィンと言う理由である。
しばらく歩いていると、ショッピングモールとスターバックスに出くわす。
少し前出しすると、那覇から北谷位のバイパス沿いにはスターバックスが数店舗立ち並ぶ。どうにもこうにも車の地域らしい。
北谷あたりで人の会話を聞いてると、中学生位の年頃のお姉ちゃんが「ハーレーダビットソンのバイク乗りたい」とか言っているから驚く。
iPhoneの電池が切れてきたのと、暑い体を冷ます目的でフラペチーノを飲む事にした。
3.宜野湾に到着
3-1.高そうなマンションに出くわす
いよいよ沖縄県宜野湾市に到着。宜野湾市は普天間基地、安室奈美恵やDA PUMPを輩出した沖縄アクターズスクールがあった場所としても有名である。
wikipediaに依れば宜野湾市の人口は9.44万人。ウチノカチに依れば、真栄原の2022年12月10日付けの公示地価価格は27.4 万円/坪(8.3万円/㎡)のようだ。
目の前に見えるお高そうなマンションは「ミ○コマンション真栄原スカイビュー」いう建物。マンションデータブックに依ればお値段は3,880万円程。
沖縄県の平均年収・年収中央値:平均年収.jpに依れば、沖縄県の平均年収の中央値(メジアン)は331万円(27.5万円)。全体の半数以上が手取り20万前半はきついな。
沖縄移住系のYouTuberの奴らは大丈夫と言ってるが、これはまずい水準のように思う。
この収入で3,880万円。一体誰が買うの?ちょんの間が近くにある区域にしては、妙に開発され尽くしている。さぞかし小金持ちや意識の高い地域になっている。
3-2.スナックに出くわす
さらに歩いているとスナックやガールズバーらしき建物に出くわした。そろそろやるべき事が始まるようだ。
3-3.おもしろ看板に出くわす
さらに歩いているとこのような看板に出くわす。知っている人は知っている「おもしろ看板」である。その中でいかにも沖縄を感じさせる看板を選んだ。
那覇の辺りでは酒飲みも多く、立ち小便も多いらしい。このニュースのように那覇の国際通りを歩けば「立ち小便すんな」の張り紙である。これをマーキングと言っているのがうまいな。
4.真栄原社交街跡地
そうして迷っているとファミリーマートに到着。一旦身支度をして目的地に向かった。
他所のブログ等の受け売りだが、真栄原社交街は米兵向けに作られた場所で、いずれ日本人向けの場所となった。
横浜の黄金町、大阪の飛田新地などと並ぶちょんの間地帯と呼ばれ、かなりの規模を誇った。しかし真栄原社交街は2011年にはその役目を終え、現在の形に至る。
ちょんの間の相場は15分5,000円位だったようだ。お金がなく、ピンサロに入り浸っていた俺に取っては懐かしい相場だ。反面、女の子からすれば回転率が勝負だからきついんだよな。
さて、この周辺を歩くと役目を終えたままの区域、住居として貸し出されている区域、取り壊されて草が生えた区域と様々だ。建物の取り壊しが進んでおり、俺がここの建物を見るのも、これで最後となると確信した。
結構深く、扱いに困る所まで来た。ここから後ろを見れば、かつての戦争の沖縄激戦の区域とされる嘉数高台公園(かかずたかだいこうえん)が見えた。嘉数高台公園に行く予定はあったものの、時間が無いので断念した。
やるべきことは終わった。まあ区画整理して高く売りたいところだろうが、そうはいかないようだ。こう言った場所という理由を除けば、おそらく車社会のためバイパス沿いが強く、借り手がつかないのが理由だろう。
5.大謝名周辺
一旦海岸線まで出るため、大謝名の通りに出た。この辺の区画、空きテナントが割とある。というかここまで歩いて来て料理屋などは、開店資金(イニシャルコスト)を抑えるためか、居抜き営業しているところも見られた。
沖縄コンベンションセンターまで着いた。ここら辺は船みたいのが大量に止まっていて、割とリゾートという感じの土地だった。
米兵がよく食いにくというステーキ屋「マイハウス」で飯が食えないのは残念だったが、バスを待って北谷への道のりを急いだ。