亀戸と言えば学業でおなじみの菅原道真さんでおなじみだが、亀戸天神裏は昔遊郭(赤線)があった場所としてもおなじみだ。赤線跡と言っても現在は完全に住宅街になった等、全くその色が見られない地域も少なくなく、この亀戸も例外ではなかった。しかし、「東京都 江東区亀戸:『ぬけられます』あちこち廓(くるわ)探索日誌」によればかつてはカフェーが800件も連ねていたとか。
今回は下町の天神様として親しまれている亀戸天神裏手にひろがっていた遊里跡をレポいたします。菅原道真公をお祀りしている亀戸天神、創建は寛文三年(1663)まで遡ります。周囲に参拝客目当ての料理店などが出店し、これらが後の花街形成の由来になったようです。明治38年(1905)に天神裏に三業地が開かれ『城東花柳街』が誕生します。昭和5年(1930)時点で芸妓屋89軒、芸妓236名、料亭11軒、幇間4名、待合79軒を数えたといいます。
一方のカフェー街ですが、関東大震災で焼け出された浅草の銘酒屋業者がこの地に移転してきます。その結果、元から居た業者と合わせて約800軒という一大カフェー街が形成されることになります。震災から6年後には、なんと1000軒以上に膨れ上がりピークを迎えます。主な客は周辺の大工場に勤める若い労働者で、簡単に安く遊べるということで大層繁盛していたようです。(東京都 江東区亀戸:『ぬけられます』あちこち廓(くるわ)探索日誌)
と言う訳で亀戸天神裏、もとい亀戸駅周辺を散策した時の写真を公開して行きたい。
亀戸天神社
1.4の夜ともなれば参拝客の方も落ち着き、参拝しやすくなっていた。
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亀戸天神裏通り
立て看板(1)
裏通りを歩くと早速目にしたのがこの立て看板。周囲が暗いだけにより一層雰囲気を際立たせる。
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天神湯サウナ
お次は街角の銭湯の写真より。年期の入った雰囲気がまた歴史を感じさせる。
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古めかしい住宅街
亀戸天神裏はこのように古めかしい建物も数多く点在していた。
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立て看板(2)
「家に限っては危険です」と言う表現がまた奥ゆかしい看板。
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「翼術」と書かれた建物
昔何かのお店で使われていた事を伺わせる、「翼術」と書かれた建物。
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古めかしい民家
遊郭とは程遠いが昔を感じさせる建物の写真。ドア付近の扇の穴が又時代を感じさせる。
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香取神社周辺の通り
香取神社周辺の通りを撮影したもの。
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80円からお買い求めができる自動販売機
自販機の絵が可愛らしい80円からの自動販売機。
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駅周辺の路地裏
最後に紹介するのは駅周辺の路地裏の様子。写真からでは分かりにくいが、亀戸はホルモンでも有名で、ホルモンのお店が大盛況であった。(2013.1.4撮影 2013.1.5編集)
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